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経営者支援 ITコーディネート業務効率化システム構築

  • 執筆者の写真清水 尚志

Part2 マネジメントの方法

20 マネジメントの必要性


マネジメントは企業の基礎資源である。完全にオートメーション化された工場には殆ど作業員はいないが、その場合でもマネジメントはいる。

マネジメントが、如何に、マネジメントし、マネジメントされるかによって、組織の目的が達成されるか否かが決定する。組織の中の人や仕事が上手くマネジメントされているか否かで成果が決まる。


フォードの場合


フォードは、1905年に創業し、わずか15年で世界最大の自動車メーカーとなった。だが、それから数年後に凋落が始まり、第三位に甘んじた。

1944年に、二代目が就任し、一代目の取り巻きを一掃し、新しいマネージメント・チームを導入して会社を救った。

一世は、マネジメントを不要と考えていた。つまり、使用人は、オーナー兼起業家である一世を補佐すれば良いと考えていたのである。このような考え方は、フォードだけではなかった。


シーメンスの場合


シーメンスも同様に、マネジメント・チームを作らず、助手と補佐しか持たなかった。1870年後半までは成長したが、やがて方向性を失い、管理不能状態に陥った。シーメンスが亡くなった5年後に銀行資本がマネージメント・チームの導入を受け入れさせ、数年後には、活力を取り戻した。


三菱の場合


三菱の創業者、岩崎弥太郎は、フォードやシーメンスとは違い、第一級の人物を引き付け、育て、使いこなした。しかし、彼もマネージメント・チームを信じなかった。

岩崎は、明治維新直後の1868年に無一文から起業し、15年後には三井、住友という17世紀から続く産業勢力を抜いた。しかし、その時がピークであり、その後成長は鈍化した。

岩崎亡き後を継いだ経営は、直ちに組織改革に取り掛かり、日本で最も強力で、専門的で、自律的なマネジメント・チームを作り上げ、三菱の真の興隆と成長が始まった。


GMの場合


1920年にフォードがマネジメント不要との信念の証明に取り掛かったころ、GMの新しい社長は、マネジメント・チームの重要性の証明に取り掛かった。


当時、GMは、フォードの巨大な力により押しつぶされて、業界第二位に甘んじていた。もともとGMは、小さな自動車会社が合併して出来た会社であった。フォードに勝てる車種も、販売網もなく、資金力もなかった。しかも、当時のGMは、合併前の経営者に自治権を認め、マネージメントは存在しなかった。


新しい社長(スローン)は、「GMの事業はなにか」「組織構造はいかにあるべきか」を考え、規律のない過去の経営者を、一つのトップマネジメント・チームに組織した。5年後にはアメリカの自動車産業のトップの座を得て、現在までその地位を守っている。


質の変化


新しいフォードとGMが設計した企業は、堅い丈夫な皮膚で覆われた昆虫から、骨格で支えられた脊椎動物に進化したたとえられている。


堅い皮膚で覆われた昆虫は、一定の大きさと複雑さ以上に成長できない。それ以上成長するには、骨格を必要とする。


同じように、企業もある一定の規模と複雑性に達すると、マネジメントが必要になる。マネジメント・チームという骨格が、オーナー兼起業家という皮膚と交替する。それは、皮膚が進化したものではない。完全な交替である。


複数の人間が協力して意思を疎通させ、多様な課題を同時に遂行する必要が出てきたとき、組織はマネジメントを必要とする。


マネジメントを欠くと、組織は機能不全となり、計画は実行に移されなくなる。最悪の場合、計画の各部分が、それぞれ勝手な時に、勝手な速度で、勝手な目的と目標のもとに遂行されるようになる。


ボスに気に入られることの方が、成果を上げるより重要になる。


例え、製品が優れ、従業員が有能かつ献身的であっても、また、ボスが如何に偉大な力と魅力を持っていても、組織は、マネジメントという骨格を持つように変身しない限り、失敗を重ね、停滞し、坂を下り始める。


 

今の日本は、オーナー社長が多いため、マネージメント・チームへの移行が遅れています。特に中小企業がまさに、その状況にあると思います。


マネジメントを遂行するためには、組織化が必要なのですが、中小企業は、今でも、オーナー起業家のマインドのままで成長が滞っています。たとえ、少ない人員でも、組織化して、それぞれの部門の使命を明確化し、権限を委譲しなければ成長できないと説いています。


次回から、総論から各論に進んでいきます。


どうぞ、ご期待ください。

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