9 新しい現実
肉体労働者から知識労働者へ
先進国の労働人口のほとんどは被用者であり、組織で働く。そして、労働人口の中心は肉体労働から知識労働へと移った。手足だけを使った労働から知識、理論、コンセプトを使って働くようになった。
肉体労働者の危機
この変化により、肉体労働者と労働組合に危機をもたらしている。工場労働者は、経済的保障、地位権力を得るために戦ってきたが、単純な肉体労働自体が無くなり、組合が弱体化し、肉体労働者の経済的保障の危機が迫っている。
労働組合の弱さが、マネジメントの強さを意味すると考える事は完全な錯覚である。
現在では当たり前でありますが、本当の意味での「肉体労働」はすでに少数派になっています。工場労働者は、QC活動を通じて生産性と品質の向上に大きな役割を果たす知識労働者となりました。また、農業や漁業も、天候などの自然頼りではなく、データに基づく理論的な運営が成果の源になっています。
そんな社会構造の変化により、労働組合の役割が低下しているのです。
新しい挑戦
社会の変化により、マネジメントにとって、肉体労働者の問題は、過去のものとなりつつあるが、知識労働と知識労働者の関わる問題は、今日と明日の課題であり、新しい課題である。
知識労働のマネジメントには先例がない。昔は知識労働は1人か少人数で行ってきた。しかし、今日では、知識労働は、複雑な大組織によって行われている。そういった意味では、新しいチャレンジであると言える。
かくして、今日、マネジメントに関して以下の課題に直面している。
①被用者社会の到来
②肉体労働者の真理、社会的地位の変化
③脱工業社会における経済的、社会的センターとしての知識労働と知的労働者の台頭
である。
200年余りの肉体労働者のマネジメントの時代が終わり、今後、大規模、かつ、複雑な組織で働く知識労働者のマネジメントが必要になっていますが、いまだに、組織における知識労働者の地位、仕事、貢献の定義が定まってません。ここにマネージメントの姿を不明瞭になる原因があると思います。
10 仕事と労働
仕事と労働
先進国の生活水準向上に貢献したのは、テイラーの「科学的管理法」であり、近年でも付け加えることがほとんどないほど洗練されている。
しかし、仕事についての研究に比べて、働く人間についての研究、特に、知識労働者についての研究はほとんどない。
しかし、学者の成果を待つ時間的な余裕はない。分かっている事だけでも、実際に現場で利用して、生産性を上げ、成果を出させねばならない。
仕事と労働は根本的に違う。
仕事をするのは人間であることは間違いない。
しかし、仕事の生産性を上げるために必要な事と、人が生き生きと働くうえで必要な事は違う。
従って仕事の論理と労の力学、双方に面から仕事をマネジメントしなければならない。
働く者が満足していても生産的に行わなければ失敗であり、仕事が生産的に行われても人が生き生きと働けなければ、失敗である。
仕事とは何か
仕事とは、一般的かつ客観的な存在であり、課題である。従って、仕事には、モノに対するアプローチをそのまま適用できる。そこには、理論があり、分析と総合と管理の対象となり得る。
①仕事を理解する上で必要とされること
他のあらゆる客観的な事象を理解するために分析する。仕事の分析とは、基本的な作業を明らかにし、論理的な順序に並べることである。
②プロセスへの総合
プロセスへの総合は、集団による仕事について適用できる。つまり、個々の仕事を個人に割り当て、個人個人を生産プロセスに組み込まなければならない。
③管理のための手段を組み込む
仕事とは、個々の作業ではなく、一連のプロセスである。予期せぬ偏差を感知し、プロセスの変更の必要を知り、必要な水準にプロセスを維持するためのフィードバックの仕組みが必要である。
労働における五つの次元
労働とは人の活動であり、人間の本性である。理論ではなく力学である。そこには五つの次元がある。
①生理的次元
人は、機会のように単調な仕事に向かない。一つの作業より複数の作業を組み合わせた方が良く働くことができる。生まれながらにして、スピード、リズム、持続性は異なっている事は幼児の研究からも明らかである。
仕事は均一に設計しなければならないが、労働には多様性が必要である。スピード、リズム、持続性を変えることが出来る余地を残しておかねばならない。
仕事にとって優れたインダストリアル・エンジニアリングであっても、人にとっては最悪のヒューマン・インダストリアルとなる。
②心理的次元
人にとって働くことは「重荷」であり「本性」でもある。「呪い」であり「祝福」でもある。それは、人格の延長であり、自己実現である
自らを定義し、自からの価値を測り、自らの人間性を知るための手段である。
労働のない社会が実現するかもしれないが、その時、人は人格の危機に瀕するだろう。
③社会的次元
組織社会では、働くことが人と社会をつなぐ主たる絆となる。社会における位置づけまで決まる。
ギリシャ時代のアリストテレスが「人は社会的動物である」といったのは、まさにこの点を指して言った言葉である。
働くことを通じての社会との結び付きは、時として家族の結びつきより意味を持つ場合もある。このことは、独立した子や子が独立した親について言える。
④経済的次元
労働は生計の資であり、経済的な基盤である。しかも経済活動のための資本を生み出す。賃金部分と資本部分は対立する。この対立は、市場経済、計画経済、いづれであっても、私有、国有、従業員所有のいづれの形態であっても対立は避けられない。
⑤政治的な次元
集団内、組織内で働くことには、権力関係が伴う。
組織では、誰かが職務を設計し、組み立てて、割り当てる。労働は、順序に従い」遂行され、組織の中で人は昇進し、又は、昇進しない場合もある
こうして、誰かが権力を行使する。
労働に伴う5つの次元は、全く別物であるが、これまでのアプローチは、どれか一つを唯一のものと考えたところに誤りがある。
マルクスをはじめとする経済学者は、経済的次元が他の次元を支配するとした。経済的次元を解決すれば疎外の問題も解決すると考えた。
これに対して、エルトン・メンヨーは、心理的次元と社会的次元が支配的な次元であるとした。確かに「手だけを雇う事はできない。人が付いてくる。」という側面があるが、現実は、仕事が集団内の人間関係を左右する。
われわれは、この5つの次元とそれらの関係について深く知り、今日のマネージメントを行わなければならない。仕事の生産性をあげ、働く者に成果をあげさせるために、何らかの解決策を、あるいは、少なくとも調整策を見出さねばならない。
時代の変化により、労働の内容が変化し、それらをコントロールする方法が試みられたが、どの方法も、労働者の満足と成果を両立することができなかったが、5つの次元を総合的に調整することで、可能になると言っています。
過去のアプローチは、多面的な考察が不足しており、人の本質に根差したマネージメントが必要だという所まで話が進みました。
次回は、「11:仕事の生産性」です。
お楽しみに。
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